2度の延期を乗り越え、ついに手術本番。
執刀医は…女の扱いに慣れた感じのスティーブン・セガール(似)だった。
■ついに手術決行!!
7:50 突然起こされ、「Surgery(手術)は今日」と告げられる。
何時?と聞くと「You are first one」1番目の手術だという。
体を洗う間もなく、下着を脱ぎ、靴下を脱ぎ、髪のピン留めを外す。
体に何も身につけない状態で新しい着衣を着せられた。
「この後即手術のため、荷物全てをおいてベッドに寝て待機」と言われる。
初めての海外での手術。これは事細かに記憶し、あとでレポートを書かねばと妙な使命を感じる。(iPhoneのメモ帳に毎日記録していたのでこうして1年後でも書けている。)
まず行われたのは、病室のベッド上で本人チェックと体調チェック。
・サインを確認、名前とIDを確認。
・アレルギーを持っているか、手術歴はあるか、高血圧糖尿病持ちか、タバコは吸うか、手術後のパニックなどはあるか、歯は自分のものか、毎日服用している薬はあるか、日常的に睡眠薬ピルを飲んでいるか?などなど。
…もちろんだけど、これ↑全部英語での受け答えだよ!
海外入院、手術ってほんま大変。昨日お見舞いに来てくれた旅行会社に務めるマルタ人の男性は、マルタ語・英語・日本語・韓国語が流暢だがそれでも「医療通訳は難しい。普通の通訳と別物」と言っていた。
それだけ専門用語が出てきて難易度高い。私の場合、適当な英語だが度胸だけでなんとかなるので一人で対応したが、不安な方は海外傷害保険に含まれている現地医療通訳を利用できる。)
ここで突然ですが、
海外で手術を受ける際に覚えておいたほうが良いこと!!
経口避妊薬ピルを服用している人は2つのことを覚えておこう!
1)英語で、経口避妊薬ピルは「Pill」では通じない!!
私は経口避妊薬ピルを服用しているため「常用している薬はあるか?」の質問に「Pillを飲んでいる」と答えた。
すると「何のピだ?Sleeping pill=睡眠薬のピルか?」と言われ、
えー!?ピルってPillじゃ通じないの?とパニック。
英語でPillというと、Sleeping pill=睡眠薬や他の薬を指すそう。
日本で通称ピルと呼ばれる経口避妊薬は、英語ではOral contraceptivesと呼ぶことを後で知る。
経口避妊薬の正しい英語をスマホで検索する時間がなかったため、とっさに出たのが「This pill is for Avoiding Pregnant!!」避妊薬→妊娠を避ける、という超ダイレクトな言い回しとなってしまった。が、「あぁOral contraceptivesね」と通じた。
しかし、経口避妊薬と分かったことで次に問題が起こる。
2)ピルの種類によっては、全身麻酔の手術を受けられない場合がある!!
手術前に英語で正しく伝えられるよう、自分が服用しているピルの名前&成分内容を確認しておこう。(もしくは書いている箱や説明書をそのまま持っておく)
なぜ全身麻酔の手術が受けられない場合があるかと言うと…
ピルの服用自体が、血栓(血のかたまり)などが肺の血管に詰まると呼吸困難、胸痛、ときに心肺停止を引き起こす肺塞栓症を起こす可能性が高まると言われている。
よって、手術中の肺塞栓症を防止するため、日本では経口避妊薬(下記サイトによると『アンジュ錠』服用の場合)全身麻酔の手術前4週以内は内服していけないらしい。
※詳しくは、こちらサイト「経口避妊剤は「手術前4週以内」は内服『禁忌』、術前に内服薬チェックの徹底を―医療機能評価機構」を参考にご覧ください。
私の英語では細かく正しく伝わらないと思い、ピルを見せ判断してもらったが、実は上記で書いている『アンジュ錠』だった。
しかし「マルタでは大丈夫」(本当か!?)と言われ、手術は問題なく受けられることに。(不安)
こうして、毎日お馴染みの体調チェックの質問を、いつもより念入りにされ手術室へ。

手術室へ行く際、海外だなぁ、外国だなぁ…と文化の違いを強く感じた。
病室から手術室へ向かう私に向かって、同部屋の人たちから「Good luck!」「 I hope you go well!」と励ましの言葉とともに、Good luckの親指を立てた仕草で皆が送り出してくれた。
まるで、これから戦闘機で戦いに向かう戦士を見送り、奮い立たせるようだった。(そんなシーンあったか知らんが、気分はトップガンのトム・クルーズのようだった)
廊下でも、受付のスタッフとすれ違う看護師たちが皆、親指を立てて笑顔で見送ってくれた。
頑張れ!大丈夫!という明るい感じがすごく伝わった。
日本の病院では基本静かにという空気だが、海外ではこうして皆知り合いでなくとも励まし合って送り出すのかー。
初めての体験。ここは本当に外国なんだなと改めて実感。
嬉しかったので、私も同じく親指を立てて応えた。(トム・クルーズの気分)
引用:Amazonより画像をお借りしました。
病室から、エレベーターを乗り継ぎ手術室の待機場へ。
途中ガスボンベをベッドに装着。非常事態に備えるんだな、いよいよ手術が近づいていることを実感。
手術室の待機場には、私の他に先に二人の患者がいた。
運ばれてきたベッドから、細めのベッド手術台に移る。
気の良さそうな二人の若いマルタ人男子が、担当ナースとして付く。
「Japanese?」と聞かれ「Yes」と答えると、「こんにちは」「ありがとう」知っている日本語をいくつか話してきた。
聞くと「小さい頃にドラゴンボールなどテレビアニメを見て日本語を覚えた」そう。
他愛もない話をしたあと、先ほど病室で聞かれたのと同じ質問(体調、アレルギー、手術歴など)。次に、血圧、脈、体温を測定し、手術前の部屋へ移動。
病室からここまでで1時間経過した。
■手術執刀医はスティーブン・セガール(似)
8:50 手術室へ
手術室内、目の前には十字架。
約9割がローマンカトリック信者と言われるマルタでは、各家庭の部屋や車の中にも、十字架や守護聖人のポスターを貼っていることが常。手術室でも例外ではなかった。
入院を知る、私の日本人の知人ほとんどが、マルタの病院と聞くと「医療機器がショボそう」「衛生的に大丈夫?」と、小さな国=しょぼいとの勝手なイメージから心配されたが、全くそんなことはなかった。
病室なんて、毎日1日3度も掃除をされ常に清潔に保たれている。
手術室を見渡すと、沢山の高度な医療機器が並んでいた。
ついにここで、私の手術を担当するドクターが登場。
ぱっと見、スティーブン・セガール。
引用:NAVERより画像お借りしました。
白髪だが、スティーブン・セガールそっくりの後ろで束ねた長髪。
それに、真っ青なきれいな目をしていた。
「マルタ人には見えないけど、何人なの?」と聞くと、「ポーランド」。しかし、親や祖母、ルーツを辿ると混血だから実は何人とは言えない、あえていうならまぁポーランド出身かな、と。
本日3度目、体調チェック、アレルギーなどの質問をされる。念には念を。
スティーブン・セガールは、私が質問に答えるごとに「大丈夫だよ」とウインクをして手術前の私を和ませようとする。(こいつ、普段は女たらしやなぁと直感)
ここで初めての質問。年齢、身長、体重を聞かれる。全身麻酔をするため、適切な麻酔量を測るために必要なのだとか。
これまで点滴を打っていた左腕の針から、麻酔薬を投入。
「手術始めるよ」の明確な声がけはなく、質問をされている間に、すでに手術モードに入っていた。
麻酔薬が投入されたあともおしゃべりを続け、
「手術が終わったらウイスキーを飲んで一緒にお祝いしようね」とウインクを送ってくるスティーブン・セガール。
「いや、ウイスキー飲めないからビールでもいい?」と答える私。
「気分はどう?」と聞かれた後、それからの記憶はもうない。
11:20 目が覚めた。2時間半も眠っていた。
手術自体は1時間だったと聞く。
段々と目覚めてきたが、まだ意識朦朧。
次第に自分の体の状態が分かり始め、手術後はスムーズに麻酔が解けることなくこの後少し異常を感じ、マルタで死ぬのか!?と再び死の予感がよぎる。
息が深くできず呼吸困難、寒くて歯がカチカチとなる、首から胸までと足元が極端に寒い。
正常でない自分の体に気付き告げると、
「君がいま僕に話せているということは、息を正常に息をできているという事。安心しろ」スティーブン・セガールが私を落ち着かせようと冷静に答える。
しかし、あまりにもガチガチ体が震え、歯もカチカチ、周りの看護師さんたちもこいつヤバいかも、と3人がかりで私の救護にあたった。
ブランケットをかけ、その上にかけた紙製シーツに布団乾燥機のような機械で温風を送り、さらに分厚い上布団、合計3枚の布団で温められた。
時計を見ると12:00。血圧と体温低下により手術後40分間の処置。
低かった体温が戻って、体に温かい血が流れ出す感覚が分かり、次第に息を深くできるようになった。
大げさだが、ちょっとだけ、死を覚悟した時間だった。
ちなみに、スティーブン・セガールはいつの間にか消えていた。(そりゃそうだ、次の手術が立て込んでいる)
「手術が終わったらウイスキーを飲んでお祝いしようね」の言葉はどこに行ったんだ!こんにゃろう!女たらしめ!と、死の淵から生還したが、麻酔前の記憶だけは鮮明に残っていた。
12:50 早朝に手術と告げられてから、約5時間経過。
体に温かさが戻りさらに50分、手術後の待機部屋で休み正常に戻った後、移動用のベットに移る。ブランケットをもう一枚かけて病室へ帰還。
同部屋の人たちから「Feel better?」と声をかけられ、行きと同じ親指を立てた仕草で皆帰りを歓迎してくれた。
麻酔は解けたものの、ぼーっとして何もできない。
しばらく立って動いてはいけないと言われ、初めて尿瓶での排泄も体験。
ナースコールで用を足したい旨を伝えると、看護師が周りの患者に見えないようカーテンをまず閉めてくれる。
マルタの尿瓶は、日本のような瓶ではなく、洗面器の2周りほど大きなものを使う。
腰を浮かせて洗面器のような器をお尻とベッドの間に入れてくれ、用を足す。
そしてトイレットペーパーで拭いて終了。
慣れない最初は看護師さんが補助してくれたが、次第に一人でできるようになった。
■手術後初の食事、差し入れのお寿司に涙
14:30 日本人在住者の方がお見舞いに
お寿司、マークス&スペンサーのショートブレッドと水、クラブツリー&イブリンのボディスプレー。
さすが気が効く、センスがすごい。
手術後は慣れた日本食のほうがいとの気遣い、食欲がない時用にお菓子のショートブレッド、お風呂に入れないでしょうからと消臭と気分転換に香りのよいボディスプレー。
術後の不安から解放されたのか、自分のためにわざわざしてくれた心配りが染み入ったのか、涙が出た。
しかしその後、お見舞いの方が帰られたあと、左目の異変に気付く。
血圧を測りに来たスタッフからも、目が腫れていると異常を指摘され「手術中、あなたずっと目を開けていたらしいよ」と言われる。(スティーブン・セガール、さぞ怖かっただろう)
「もしかすると、その間に何か触れたか目に入ったのかもしれない。」
16:30 緊急で目の検査へ
眼科を受診することに。
まだ歩いてはいけない、というより全身麻酔が抜けて4時間後でも体がふわふわし歩けない。
看護師さんに、車椅子で眼科病棟に連れられる。
「特に問題はなく、手術中に目を開けている時に何か当たったか、その後こすったのだろう。クリームを一日3回、計5日間処方すれば治る」とのことで事なきを得る。
マルタでは、液体の目薬ではなくクリームの薬で治す。この「目にクリームを入れる」というのが、ものすごく気持ち悪い。
使い捨て手袋をした看護師さんが塗ってくれるが、塗った後は視界がクリームで真っ白になりしばらく目が見えない。
このせいで視力が低下しそうと心配になり、腫れが引いてからは5日経っていなかったが使うのをやめた。
■マーテルデイ病院、6/25の病院食
▼夜ごはん
チキン胸肉のフライ
ブロッコリーカリフラワー人参のスチーム
マッシュポテトを小さく丸めて揚げたもの
カリフラワースープ
パン
17:00 夕飯
この日の病院食は、夜のみだった。
朝は手術で絶食のため摂らず。
昼は思った以上に麻酔が効き、目が覚めた時には昼ごはんが配られる時間をとっくに過ぎていた。
先ほど頂いたお寿司と共に、チキン少しと、人参とポテト少しだけを食べた。
これだけだと足りないため、マークス&スペンサーのショートブレッドを食べたのだが、これが想像以上に美味しかった!!
今度マルタに行った時に、大量に買って帰りたい。(手術後だったから特に美味しく感じたのかも?)
食後、痛み止め2錠を服用。
骨折だけでなく手術跡の痛みも加わり強烈な激痛。痛み止め薬だけでは効かず、初めてモルヒネも投与。モルヒネが効き、急激に眠くなってきた。
爆睡後、ぼーっとしていると、
19:30 アンドレ大使がお見舞いに
3ヶ月後の2019年9月〜12月の3ヶ月間日本に日本語を勉強しに来日する、そして2020年オープン予定のマルタ大使館の建物探し(コロナで延期中)、10月にはジョージ・ヴェッラ大統領が来日する、などの話をする。
アンドレに「『手術が延期ばかりで進まない。予定通り行えるよう政治の力を使ってでもいいからどうにかしてー!』と前日に頼んだのが効いたのか、今日は予定どおり手術決行、しかも朝イチという高待遇だったよ!」と伝えると、「僕は何もしていない」という。
はて?何もしないのに予定通り、しかも朝イチという優先度1番で対応されるか?
色々聞いてまわると、なんと昨日お花を持ってお見舞いに来てくださった、旅行会社の社長さんが、病院へ直々に訴えてくれたらしい。
さすが、マルタで実績がある立派な会社の社長さんだけに、病院もやっと動いてくれたのか。
他の方から聞くと、病棟のスタッフにも伝えたが、それだけでは効かないだろうから、病院の上層部の方たちにも熱く訴えてくれたらしい。
他の在住者の方からも「とても情熱的な人だからね、そのぐらい行動してくれるかも」と聞き、はぁ…なんかもう…そこまで行動してくださったことに涙が出そうになった。
私から「毎日手術が延期なんですよ」という話を聞き、毎晩手術に備えるために絶食しやつれていたし可哀想と思い、病院側に働きかけてくださったそうだ。
20:00 病院の面会終了時間
アンドレ大使とお別れ。
明日も日本人在住者の方が来てくれるらしい。
毎日何かしら持ってお見舞いにきて下さる方たち。
在住者の方々の連絡網で、日替わりで毎日誰かが行くよう、段取りしてくださっていたのを後で知る。
たくさんの方の温かい気持ちと行動。手術が無事終わって一瞬死にかけたのち生きれたことで、改めて感謝をもって生きたいと心に誓った。