★この文献について…
マルタ共和国観光大使・遠藤三千雄氏が、過去に執筆した文献です。

今のマルタしか知らない私たちが、1980年代のマルタを知り得るこの貴重な文献を寄贈頂きました。私の手元に置くだけでなく、広く知って頂くことが一番有効活用できる方法と考え、遠藤氏に相談・了承を得た上でこのブログで公開することにしました。

文章は、遠藤氏が1980年代の内容を記し、紙にプリントアウトした文献をそのまま転記。
写真は、文章に合わせて、私が2012年〜2021年に撮影した写真を添えました。

文献を4話に分けてお届けします。

 

 

★遠藤三千雄氏について…

2018年7月30日、当時のマルタ共和国首相、ジョセフ・ムスカット首相(2013年〜2020年1月在任)が来日。

遠藤三千雄氏は、日本とマルタの国交を築き発展させたことで、首相より長年の功労を表彰され、マルタ共和国観光大使に任命されました。

マルタ共和国ムスカット首相来日レセプション2018年7月

マルタ共和国ムスカット首相来日レセプション2018年7月

マルタ共和国ムスカット首相来日レセプション2018年7月

マルタ共和国ムスカット首相来日レセプション2018年7月

以上は、ムスカット首相来日レセプション(2018年7月30日)の様子。

 

同年12月13日。遠藤三千雄氏(写真:最前列右)は、マルタの共和制施行日の式典に招待され出席。

12月13日共和制施行日の式典(2018年)に招待された遠藤三千雄氏マルタのマリールイーズ・コレイロ・プレカ第9代大統領(2014年4月〜2019年4月在任)と遠藤三千雄氏。12月13日共和制施行日の式典にて。

マルタのマリールイーズ・コレイロ・プレカ大統領と遠藤三千雄氏_12月13日共和制施行日の式典(2018年)

 

 

 

『私的マルタ島印象記』

執筆:マルタ観光局日本地区前局長 遠藤三千雄氏

<目次>
第1話
第2話
第3話
第4話(最終話)

 

 

第1話

聖ヨハネ大聖堂,マルタ,ヴァレッタ

 私とマルタ島とのお付き合いはもう二十五年になる。

 一九八六年の某月、ホテルニューオオタニに滞在している外国人から「ぜひお会いしたい。すぐホテルに来てくれないか」と電話があった。

 相手は「マルタ・・」とか言っていたが、長年アメリカ駐在していた私には「マルタ」といきなり告げられても、用件が何かまったく想像もできなかった。ただ、遠来のお客様からの電話でもあり、快く要望に応じようとホテルにすぐ向かった。

 ヨーロピアンスタイルのビジネススーツ姿もきちんとした七、八人のグループが私を出迎えてくれた。

 代表と思われる一人が「私たちはマルタ共和国の経済ミッションのメンバーです」と自己紹介してきた。この代表者がアルベルト・ミッツィ氏でマルタの国営航空会社マルタ航空の会長であった。

 そして彼は「エア・マルタの日本地区総販売代理店を受諾して欲しい」といきなり要請してきた。あまりにも突然の話であった。

エアマルタ

 マルタと言われても、当時、私の脳裏に浮かぶのは、ハンフリー・ボガード主演の映画「マルタの鷹」と、マルチーズと呼ばれる犬ぐらいであった。

 当時、私は日本航空の関連会社「ジャパンセンター」に勤務していた。この会社は外国の航空会社、ホテル、観光局などの日本地区の代表業務を主業務としていた。

 マルタ航空がどのルートでジャパンセンターの存在を知り、連絡してきたか判らない。同様に私のほうもマルタがどのような国なのか、エア・マルタという航空会社がどの路線を飛んでいるかさえ知らなかった。

 しかし私たちの仕事はエア・マルタのような協力を必要としている会社の日本地区代表業務を受諾代行することである。

 私は快く日本地区総販売代理店を受けることに決めた。

 ひとたび受諾した以上は、マルタを知ることが最優先になる。私はその足で丸善をはじめ大きな書店に駆けつけ、マルタに関する書物を探した。だが、見つかったのは観光ガイドブックや旅行記でなく、神保町の古書店の棚の片隅にあった大部の旅行記であった。

 昭和天皇がまだ皇太子であられた大正十二年に渡欧された記録である。宮内庁が限定発行した貴重な本で、海軍の軍艦での大航海や七十数年前のマルタ滞在記録が写真と文章で克明に記されているものであった。

 

飛行機から見たコミノ島

いくら貴重な記録でもこれでは現在一九八六年のマルタを知るには役に立たない。

 仕方なく私は誰か一人くらいはマルタに詳しい人がいるであろうと、航空、旅行業界の知人に当たってみたが、逆に「マルタってどこにあるのですか?」と問い返されることが多かった。

 数カ月後、正式な契約を結ぶためとより詳しい知識を得るためにマルタに飛んだ。日本からの直行でなく、他の地区からのフライトであったので、三十時間ほどの長旅になった(現在、日本からの所要時間は乗り換えを含め、約十四、五時間ほどである)。

 今の南部にあるルア空港は約四千メートルの滑走路を持つりっぱな空港で、英国の統治時代、英国空軍が使用していた。

 赤い尾翼に白で先端が二つに分かれたマルタ十字を描いたエア・マルタの旅客機が何機か待機している。

エアマルタ

 ターミナルビルはそれは小さなもので、日本の地方空港でも見ない規模であった。しかし、東京都二三区の半分の面積しかない国にそれはふさわしいとも言えた。

 僅か三日間ほどの短い滞在であったが、私の旅心は強くこの国に魅せられていた。

 雲一つない青く透った空、無限に広がる紺碧の地中海、島のあちこちに点在する世界遺産、島特産の石で造られた蜂蜜色の壁の街並み、その間を走り抜けるレトロなボンネットバス、ゆったりと歩いている穏やかな表情のマルタの人々に私は強く惹かれていた。

 すべてが初めて訪れた私に、マルタは他の欧米諸国と全く異なる印象を与えてくれた。長年、培った感というのか、私はこの国は私たち日本人に喜ばれる旅行地となるとの確信が芽生えていた。

ゴゾ島・アズール・ウィンドウ,マルタ

 その理由の一つは、公用語がマルタ語と英語であることであった。商店でも道を歩いている人でも英語が話せる。これは他の欧州諸国にない長所である。

 私の印象だけでは足りないと、マルタに住む日本人がいたら、マルタ人以外の話を聞きたいと、定住者を探してもらったが、当時は一人もいなかった。

 一九八六年にマルタを訪れた日本人の数は五百人、そのほとんどが地中海で操業するマグロ漁船の船員とのことであった。

 ここでちょっと一休みして、マルタという国のあらましをまとめてみたい。

ゴゾ島_ボンネットバス

第2話へ続く

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