★この文献について…
マルタ共和国観光大使・遠藤三千雄氏が、過去に執筆した文献です。

今のマルタしか知らない私たちが、1980年代のマルタを知り得るこの貴重な文献を寄贈頂きました。私の手元に置くだけでなく、広く知って頂くことが一番有効活用できる方法と考え、遠藤氏に相談・了承を得た上でこのブログで公開することにしました。

文章は、遠藤氏が1980年代の内容を記し、紙にプリントアウトした文献をそのまま転記。
写真は、文章に合わせて、私が2012年〜2021年に撮影した写真を添えました。

文献を4話に分けてお届けします。

 

 

『私的マルタ島印象記』

執筆:マルタ観光局日本地区前局長 遠藤三千雄氏

<目次>
第1話
第2話←※今ココ
第3話
第4話(最終話)

 

 

第2話

グランドハーバー,ヴァレッタ,マルタ

国名と位置

 マルタという国名はフェニキア語でMalet(安全な場所を意味する)が語源と言われている。貿易その他、海の民であったフェニキア人にとって、ヴァレッタ周辺の深い入り江は安心して避難できる場所であったからであろう。

 マルタはイタリアのシチリアから九三キロ南に位置する三つの島、マルタ、その北西にあるゴゾ、コミノからなる島国である。

 その位置からマルタは過去いろいろな言葉で呼ばれてきた。「地中海に浮かぶ真珠」、「イタリア半島の靴先が蹴飛ばした石がシチリアで、そこからこぼれた破片がマルタ」であるなどという揶揄もある。

 ただ、歴史的には「歴史の交差点」、「文明の交差点」言われ、公易上、軍事上では「マルタを制する者は地中海を制する」と言われ、何回となく侵略を受けている。

 しかし、なんと言っても「マルタは大人の玉手箱だ」という表現ほど七千年の歴史を持ったこの国にふさわしいものはないと思う。

グランドハーバー,ヴァレッタ,マルタ

 地形的には三つの島とも平地が少なく、丘陵や大地が多い。海岸線は変化に富み、水深も深いため、世界的にも名高い良港グランドハーバーがある。第二次大戦中英海軍の巨艦が停泊し、現在では日本の飛鳥を初め世界一周の船が寄港する港である。

 国土は東京二十三区の半分、三一六平方キロメートルである。これはヨーロッパで十番目に小さい。

 日本と同じ島国でも、決定的に違うのはどの島にも川と橋、それに森がないこと。当然、地下水が乏しく、飲料水はオランダ製の淡水化装置が二十四時間稼働して、海水を淡水化している。

 その淡水化された水三分の二に、汲み上げた地下水三分の一を加えた飲料水を各家庭に給水している。

 

ノッテビアンカ,ヴァレッタ,マルタ

人口

 人口はEU加盟(二〇〇四年)以降、急激に増加し、現在(※執筆当時を指す)は四十一万人。ただし、最後の宗主国イギリスが撤退に際して、イギリス政府はマルタ政府と協議し軍関係者の失業対策として英連邦諸国への積極的な出稼ぎと移民策をとった。そのためカナダやオーストラリアなどに現人口(※執筆当時を指す)とほぼ同数のマルタ人が住んでいる。人口密度はヨーロッパで六番目。

 

聖パウロ教会,ラバト,マルタ

マルタの宗教

 マルタ人の九五パーセントはローマカトリックの敬虔な信者である。それはこの狭い国に大小三六五の教会がある事実がそれを証明している。紀元六十年に漂着した聖パウロによってキリスト教がもたらされ、それが十六世紀に十字軍の一翼として活躍した聖ヨハネ騎士団がマルタを本拠地としたため、ローマカトリックの支配はいっそう強まった。 

 日常生活ではいろいろな形で人々は地域の教会と深い繋がりを持って暮らしている。

 加えて国を挙げての宗教行事も数多く催される。マルタ人はお祭り好きと言われるが、春の謝肉祭に続く復活祭や、八月十五日の聖母マリア被昇天日などは地区を挙げてのパレードとなる。

 これらが多くの観光客を集めているのは事実であるが、マルタの人々にとっては極めて大切な宗教的伝統である。

 

パスティッツェリア,イッセルキン,ラバト,マルタ

マルタ語

 マルタの公用語はマルタ語と英語である。一〇〇パーセントのマルタ人はマルタ語と英語を話すが、七五パーセントのマルタ人はイタリア語も話す(シチリア島が近いため、テレビのチャンネルにイタリア放送局の番組を放映するものがあるため)。

 マルタ語はアラビア語が語源のいわれるセブ語が六五パーセント、残り三五パーセントはその時代、時代の宗主国(シチリア、ローマ、ノルマン、フランス、英国など)の言葉を取り入れたマルタ人しか話せない言葉だ。

 マルタ人の朝の挨拶は「ボンジュール」とフランス語で始まり、仕事の話は英語で、別れのときは「チャオ、チャオ」とイタリア語で終わる。

 ローマカトリック信者なのに、神を「アラー」とマルタ人はアラビア語で呼ぶ。

 マルタ語を表記する文字は、十八世紀まで存在しなかった。文書に関しては支配者が自分たちの言語で記していたようである。

 それでマルタ語の文字が必要となり、英語のアルファベット二十六文字にマルタ語の発音をあてはめて作ったらしい。

 ただ、その音をアルファベットで表せないときには、文字の上にいくつかの記号を付けて、出来るだけマルタ語の発音に忠実にしていく工夫をしたようである。アラビア語に多い無声音の字が多くなっている。

 現在、マルタでは、マルタ語と英語の新聞が発行されている。両紙ともアルファベットで書かれているが、我々にはマルタ語の新聞は理解不可能である。

 また、英字新聞でも、英語と同じように発音してもマルタ人には通じない名前や地名がやたらと多いのは驚く。

 マルタの人々は会議のとき、我々に特に知られたくない話題になると、急にマルタ人同士がマルタ語に切り替えて会話する場面にしばしば出会ったものである。

 何世紀にもわたり他民族の支配を受けてきたマルタ人の生活の知恵なのであろう。

 

第3話へ続く

コメントを残す