★この文献について…
マルタ共和国観光大使・遠藤三千雄氏が、過去に執筆した文献です。

今のマルタしか知らない私たちが、1980年代のマルタを知り得るこの貴重な文献を寄贈頂きました。私の手元に置くだけでなく、広く知って頂くことが一番有効活用できる方法と考え、遠藤氏に相談・了承を得た上でこのブログで公開することにしました。

文章は、遠藤氏が1980年代の内容を記し、紙にプリントアウトした文献をそのまま転記。
写真は、文章に合わせて、私が2012年〜2021年に撮影した写真を添えました。

文献を4話に分けてお届けします。

 

★遠藤三千雄氏について…
第1話冒頭でご紹介している内容を御覧ください。

 

 

『私的マルタ島印象記』

執筆:マルタ観光局日本地区前局長 遠藤三千雄氏

<目次>
第1話
第2話
第3話←※今ココ
第4話(最終話)

 

 

第3話

コミノ島ブルーラグーン,マルタ

マルタの気候

 マルタの気候は地中海性の温暖な気候といえる。

 過去三十年間の気候を基に平均気温が公表されるが、十一月〜四月は平均気温十四度、五月〜十月は二十三度である。

 特にサマーシーズンといわれる六月中旬から九月中旬にかけては日差しがもっとも強く、三十度を超える日がつづくため、帽子とサングラスは必需品となる。

 また、十月〜三月はいわゆる雨季で、とり訳十一月から二月いっぱいは天候が崩れることが多い。朝晩の気温差が激しいので、長袖シャツ、カーディガン、ジャケット、セーターなどの防寒着が必要である。

 ただ、最近ではマルタにも世界的な地球温暖化がおしよせているらしい。

 十一月の下旬に突然お客様から電話を頂いた。「今日のマルタの気温は何度ですか」との問いかけに、さっそくマルタに電話し、正確な温度を聞き、返事をした。

 その時は十一月の下旬にも拘わらず、三十九度であった。電話で応対してくれた本局の職員も「異常気象だ」と驚いていた。

 そうしたら翌日の日経新聞に「地球温暖化マルタを襲う」という見出しで報道された。

 また、数年前の二月にマルタを訪問したとき、車で市内に向かった。すると何かがぶつかる激しい音がした。

首都ヴァレッタ,マルタ

 ヴァレッタは坂の街。外を見ると、白いビー玉状の物がコロコロ転がって行く。私の疑問に、運転手は一言「雹」と答えてくれた。

 東京でもあまり見ることのなくなった雹を地中海の真ん中で経験したのには驚きだった。

 数ヶ月後、マルタを再度訪ねたとき、前回と同じ運転手の車になった。彼曰く。その後、再度雹が降り、マルタが雪化粧したようであったとのこと。

「マルタ生まれのマルタ育ちの自分も、あんなに白くなったマルタを初めて見た」と興奮気味に教えてくれた。

 

ジュガンティーヤ神殿,ゴゾ島,マルタ

世界遺産

 マルタはヨーロッパではリゾート地として知名度が高いが日本では世界遺産の国として宣伝して来た。マルタには、巨石神殿が四つある。

 マルタ島のハジャーイム神殿とイムナイドラ神殿、最大規模のタルシーン神殿、そしてゴゾ島にある紀元前四千年頃建設されたジュガンティーヤ神殿。加えて、一九八〇年、ユネスコの世界遺産に登録されたハイポジューム地下神殿である。

 エジプトのピラミッドよりも古いこれらの神殿を築いた人たちは、マルタの歴史から完全にその姿を消していることも大きな歴史上の謎といえる。

 一方、世界文化遺産として登録されているのが、中世城塞都市ヴァレッタである。こちらは巨石神殿と異なり、建築された年月も建設者もはっきりしている。

 一五六五年にオスマントルコの攻撃を受け、四か月に渡る攻防の末、辛うじて撃退した聖ヨハネ騎士団が再度の攻撃に備えて、当時、岬の先端にセントエルモ砦しかなかったところに難攻不落の城塞を築いたのである。

 住居と砦を一体化した街造り、指揮を執ったのは騎士団長ジャン・パリソ・ド・ラヴァレットであり、五年の歳月を懸けて一五七〇年に完成した市は、彼の名を受けヴァレッタと今日呼ばれる名となった。

 

うさぎ料理,マルタ伝統料理

マルタの料理

 基本的には地中海料理である。イタリア料理をもっと素朴にした味と考えたらよい。

 オリーヴオイルを使っての料理であり、食材もウサギや鳥などの材料を使うのが特色といえる。

 ただし、マルタはパンがおいしい。安い地元産のワインとちょっと塩味の利いたパン、それにゴゾ産のチーズをかじっていれば十分贅沢な食事になる。

 

マルタパン

マルタ人の気質

よく外国人観光客がトラブルなどで困っていると、親切な日本人が助けるという「ちょっといい話」が新聞などに登場する。

 同様な経験はマルタを訪ねた日本人観光客にもある。そうした親切に感激して、帰国後わざわざ私のところに電話してくださるお客様もいる。「明治の日本人の心を持つ人たちだ」と興奮し報告を下さる方も居られた。

 観光立国という国の政策上。旅行客には親切に振舞うのは当然としても、なかなか出来るものではない。

 しかし、全く別の一面もある。観光客として一度の旅行なら見えてこないが、私のように年数回以上マルタを訪れているとそれが見えてくる。

 マルタの人々から「Thank you」や「I am sorry」など、日本の日常生活では普通の言葉を耳にする機会が非常に少ない。買い物でも、食事でもお金を払って「Thank you」という言葉とともに釣銭やレシートをもらうことは少ない。

 ビジネスの上でも、同様である。これは植民地時代に宗主国の人たちから長い年月に渡って受けた処遇に原因があるのではないか。

 

第4話(最終話)へ続く

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