★この文献について…
マルタ共和国観光大使・遠藤三千雄氏が、過去に執筆した文献です。

今のマルタしか知らない私たちが、1980年代のマルタを知り得るこの貴重な文献を寄贈頂きました。私の手元に置くだけでなく、広く知って頂くことが一番有効活用できる方法と考え、遠藤氏に相談・了承を得た上でこのブログで公開することにしました。

文章は、遠藤氏が1980年代の内容を記し、紙にプリントアウトした文献をそのまま転記。
写真は、文章に合わせて、私が2012年〜2021年に撮影した写真を添えました。

文献を4話に分けてお届けします。

 

★遠藤三千雄氏について…
第1話冒頭でご紹介している内容を御覧ください。

 

 

『私的マルタ島印象記』

執筆:マルタ観光局日本地区前局長 遠藤三千雄氏

<目次>
第1話
第2話
第3話
第4話(最終話)←※今ココ

 

 

第4話(最終話)

マルサシュロック,マルタ

 日本の旅行業界で旅行商品を造成し、販売するには大変な宣伝を要する。
 
 一九八六年にマルタ航空の総販売代理店を引き受けて以来、私はどうしたらマルタの魅力を旅行社の商品企画担当者に知ってもらえるかを考えて過ごすことになった。

 マルタの宣伝は、「カボチャ大作戦」で始まった。それは最初の訪問のとき、漁港マルサシュロックで手に入れた巨大カボチャの種をわが家の庭に植え、大きく成長したカボチャをマルタと結び付けて宣伝しようと考えた。

 その年は実らなかった大カボチャは翌一九八七年に見事に九〇センチと五〇センチという大物が一個収穫できた。

 口コミで取材に来た新聞社とテレビ局にはカボチャの話はそこそこにして、マルタのことばかり語った。

 たまたまこの年は航空、旅行業界が二年に一度開催する旅行博覧会の年でもあった。

 私はチャンスとこのカボチャを自宅からタクシーで運び博覧会に出品した。

 意表を突いたカボチャ大作戦は来場者からも好意を持って迎えられ、マルタのチラシも全部配れた。

 カボチャのおかげか東京で二社、大阪では一社の旅行社がマルタツアーを商品化してくださり、年ごとにマルタへのお客様が増えて、九四年には二千人を超える数字になった。

 マルタ語の神様(アラー)は二年後にも私にお恵みを垂れてくれた。

 一九八九年十二月、アメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長がマルタのマルサシュロック沖合の船で、歴史的な首脳会談を開いたのである。

 一九四五年のヤルタ会談から始まった資本主義国と共産主義国の間で戦われた冷戦の終了を宣言するマルタ会談である。

「ヤルタからマルタへ」という韻を踏んだキャッチフレーズとともに、マルタでは記念切手が発行された。

 私も再びマルタを宣伝するよい機会と早速その切手を取り寄せ、折から開催されていた世界旅行博のマルタ航空のブースで記念切手を大きく宣伝し、発売した。

「ヤルタからマルタへ」アメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長の歴史的な首脳会談の記念切手

 ただ残念にも三日間の会期中に売れたのはわずか十枚ほどで、日本人の関心はまだまだマルタにむけられていないと痛感したものだ。

 しかし、九四年に早期退職した私を待っていたかのように、マルタ観光局が日本地区代表を依頼してきたのである。小さいながらもマルタ国の観光促進業務であった。

 予算的には大変苦しかったが、私は「金がなければ、頭を使え」とさまざまなアイデアを振り絞りだして、着実にマルタへの日本人観光客の数を増やしていった。

 折から日本でも世界遺産を訪ねる旅がブームとなっていたから、マルタは格好の目的地になった。

 そうしたとき、「クイネルは今ゴゾにいますか?」とか、グレンイーグルズに三日通ったけれど、会えなかった」などという電話がよくかかるようになった。

 クイネルを知らなかった私は、彼がゴゾ島在住の覆面作家で、デビュー作「燃える男」は世界的なベストセラーになっていると知った。

 これだけ問い合わせがあるのだから、やはりクイネルには会っておくべきだと考えた私は、九八年に企画した研修会に高校時代の友人を招待した。彼が前回の研修旅行でクイネルとコンタクトを取っていたからである。

グレンイーグルス,ゴゾ島,マルタ

 十月の午後、イムジャール港に近いバー・グレンイーグルズで私たちは初対面とは思えぬほど、マルタの地ビールチスクを何杯もおかわりするくらい打ち解けた。

 それ以降、マルタを訪れる旅に互いの時間が許す限り、ビールを飲みながら語り合った。彼は私が出版関係の人間でないので、気を許したのか、覆面作家として秘していた本名、フィリップを教えてくれ、呼びかけるのを許してくれた。

『燃える男』作家 A・J・クィネル氏と遠藤三千雄氏
遠藤氏からの写真:当時の『燃える男』作家 A・J・クィネル氏と遠藤三千雄氏

 

 しかし幸せな時は続かなかった。身長は一八五センチを超え、体躯堂々としたクイネルの体調が優れないのは会うたびに判った。そして二〇〇五年七月の訪問が最後になった。

 ゴゾの療養中の家への訪問、力なく抱擁して再会を喜んだのもつかの間、私がマルタを発つ前日の夕刻、クイネルは帰らぬ人となった。

 彼が描いた小説の主人公クリーシーは瀕死の重傷を負いながらも、ゴゾ島で療養に努め見事再生するのであったが、作者自身は、ゴゾの持つ霊力も効果が無かった。

『燃える男』作家 A・J・クィネル氏と遠藤三千雄氏
遠藤氏からの写真:当時の『燃える男』作家 A・J・クィネル氏と遠藤三千雄氏

 

 だが、私自身にはマルタやゴゾに存する霊力が役に立っていることを今では実感している。パワースポットがこの島には存在しているのである。

 私は二〇〇八年にすい臓がんを発症し、余命二年半と宣告された。手術は成功したが、余命についての宣告は変わらない。

 しかし、私はいくつかの化学療法のほかによく歩くようにとの指示を受け、忠実に実行していった。それまでのジョギングの代わりに歩くことにしたのだ。

 そして二〇一〇年二月、マルタマラソンにウオーキングの部門を作ってはどうかという我々の提案が認められ、その名称も「エンドーウオーキング」と決まった。

 当然、自分の名を冠した大会に参加した。結果は何と第八位、私の体調はなぜか日本にいるときよりも快調で、これはクイネルが作中で語ったようにゴゾ島の霊力が私の力を倍増してくれたとしか思えない好成績だった。

 昨年暮れで余命の期限はきたが、私の体調は快調そのものである。

 これもパワースポットマルタとの付き合いがもたらしてくれたものであろうか。(終わり)

マルタ国際マラソンウォーカソン2位 遠藤三千雄氏

マルタ国際マラソンウォーカソン2位 遠藤三千雄氏
マルタ国際マラソン2017年に出場して入賞した遠藤三千雄氏

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